
being大好きもーりーです!

元WANDS上杉昇さんを詳しく教えてくれ!
ここでは、上杉昇さんの生い立ちから現在までを詳しくご紹介します。
これを読めば、上杉昇さんが歩んだ軌跡を全て知ることができるでしょう。
私自身、WANDS時代の全てのCDを揃え、今もライブに参加する大ファンです。
ぜひこの記事を読んで、より上杉さんのことを好きになってもらえたら嬉しいです。
動画で観たい方はこちら↓
上杉昇のプロフィール
ではまず、上杉昇さんのプロフィールからご紹介したいと思います。
生年月日:1972年5月24日
出身地:埼玉県川越市
両親:父親はトラック運転手、母親はスナック勤務
身長:172cm
血液型:A型
趣味:テレビゲーム
好きなバンド:LOUDNESS、GUNS N’ ROSES、Nirvana
両親
父親はトラック運転手、母親はスナック勤務だった上杉さん。
毎日ケンカが絶えず、今で言うDVを母親が受けていたとご本人も告白しています。
小学5年生まで、特殊な家庭環境で幼少期を過ごしたのは意外な事実。
父親はお祭りのお囃子で横笛を吹く演者さんでもあり、音楽の才能を持った人でした。
天才上杉さんも「父親の方が才能はあった」と言っているくらいですから、相当。。
血の気が荒く、毎日腕立て300回やるほど腕っぷしが強く、血の気の荒い人だったそう。
母親は歌手になることが夢だったそうで、歌を歌うことが大好きだったそうです。
性格は気が強く、口も強かったため、それが原因で父親がケンカで手を出すようになったとか。
WANDSデビューのニュースで一番喜んでくれたのが母親らしく、子供想いのお母さんみたいですね。
生い立ち
小学5年生で横須賀へ引越すまで、埼玉県川越市で生まれ育ちました。
よく横須賀出身と勘違いしている人がいますが、川越が正解ですね。
生まれつき体が弱く、ぜんそく持ちだったこともあり、性格も暗い方だったそう。
川越時代はいじめられっ子だったため、当時のいい思い出は全くないそうです。
アリをじーっと観察したりするのが好きで、炎天下で倒れるくらい観るのが好きだったそうですね。
音楽に関しては、母親が勤務していたスナックで幼少期から歌を歌っていたそうです。
当時から評判がよく、中島みゆきさんやチェッカーズを歌っていたとのこと。
この頃はまだ、歌手になりたいといった夢もなく、ただ好きで歌っていただけのようです。
学生時代
小学校5年生で川越から横須賀に転校するのですが、母親と一緒に逃げたのが本当。
原因は父親からの暴力だったらしく、上杉さんから逃げようと言って転居したそうです。
中学時代
中学に入ってからは、バレーボール部に入部。
1年生からベンチ入りするなど、かなり熱心に部活に打ち込んでいたそうです。
将来実業団に入ることを夢見ていたそうなのですが、周りもあまり協力体制がなく断念。
中学時代はボンタンを履くなど、かなりヤンキーに近い服装をしていたそう。
それゆえ、ヤクザの事務所の人から声をかけられたり、ケンカを仕掛けられたり。。
でも、不良行為はなく事務所にも行かなかったそうなので、普通の学生だったとか笑。
音楽はよく聞いていて、LOUDNESS・X・Guns N’ Rosesが好きだったそう。
Xのギタリストhideは中学の先輩であり、LOUDNESSやGuns N’ Rosesも上杉さんの音楽性に多大なる影響を与えたグループ。
この頃に聞いていた音楽は、上杉さんをロックアーティストに導いたと言っても過言ではありませんね。
高校時代
将来の夢は特になく、高校もどこに行くかちゃんと考えてなかった上杉さん。
ちょうど母親が理容業界の家系で、そのコネで理容学校「育成会」への進学が決定。
育成会は、おじさんおばさんまで幅広い人が入学してくる理容学校だったそう。
そんな中上杉さんは、育成会の同級生から誘われバンドを結成することになります。
ボーカルとしてついに活動スタートとなった矢先、先輩とケンカして停学処分に。。
復学のための課題を出された上杉さんですが、レポートの量の多さに絶望。
そのまま退学となり、結成されたバンドもそのまま自然消滅で解散となったそうです。
フリーター時代
育成会を退学した後、アルバイトをやりながらバンド活動をしていた上杉さん。
どんな生活をしていたのかを解説していこうと思います!
バンド活動
育成会で結成したバンドを解散した後、そのバンドのコネで新しいバンドに加入。
その名も「エクスプロード」で、町田や横浜のライブハウスで活動していました。
イギリスの人気バンド「ハノイ・ロックス」のコピーを主にやっていたそうです。
当時、コピーバンドにも関わらず出待ちファンが大勢できるほど人気爆発。
またそのほとんどが上杉さんファンだったらしく、すでに大器の片鱗を見せていたそう。
他のバンドメンバーは嫉妬していたそうですが、人気絶大だったんですね。
ただこのバンドも、メンバーの就職や諸事情で1年で解散となったそうです。
学校も辞めて、バンドも解散となったことで一人きりになったのがこの時期でした。
アルバイト
退学した上杉さんは、バンド活動をしながらガソリンスタンドのアルバイトをスタート。
なぜガソスタなのかと言うと、ロン毛でも許されるからだったそうです。
確かにミュージシャンってガソスタでバイトしている印象が強いですよね!
そのバイト生活の時、お昼に買った音楽雑誌でビーイング音楽振興会の募集を発見。
もともとLOUDNESSがビーイングに所属していたこともあり、即行で応募したそう。
LOUDNESSと言えば、世界中でムーブメントを起こした日本の伝説的メタルバンド。
上杉さんの憧れであり、そんなグループが所属していたなら!と思ったことでしょうね。
ビーイング音楽振興会時代
ついに音楽制作会社へ加入となった上杉さんですが、お金を払ってレッスンを受ける身。
メジャーデビューよりむしろ、歌のレッスン目的で応募しただけだったそうですが。
そこで発表会があり、その才能が長戸さんの目に止まりプロデュースされることに。
LOUDNESSのサポートバンドをやっていた経験豊富な大島康祐さん。
BADオーディションで最終まで残っていた柴崎浩さん。
この2人とバンドを組むことになり、晴れてWANDSを結成することになったわけです。
3人ともそれぞれ性格やバックグラウンドが異なり、場違い感があったそう。
ただ断っても何もないと感じた上杉さんは、WANDSとしてデビューすることを決意。
ここから伝説が始まったわけですね。
まとめ
今回は、上杉さんの生い立ちからWANDS結成までのストーリーを紹介してきました。
育ってきた背景を知れば、WANDSの曲がまた違った風に聞こえるのではないでしょうか。
ぜひ上杉さんのことを知って、WANDSも今の上杉さんも応援していきましょう!
なお、この記事でも一部触れていますが上杉さんの半生を綴った自伝本おすすめです。
これまで全く語らなかった上杉さんの内面を、赤裸々に語っている名作。
海外でのライブDVD付きの素晴らしい本ですので、ぜひ読んでみてください。
コメント
[…] 上杉さんの生い立ち前半編はこちらをご覧ください。 […]