美人すぎるZARD坂井泉水の生い立ちからデビューまでを徹底解説!

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もーりー
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being大好きもーりーです!

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ZARD坂井泉水さんについて教えて!

 

1990年代〜2000年代を駆け抜け、颯爽とこの世を去ったZARDの坂井泉水さん。

そんな彼女がどんな人物なのか、生い立ちからデビューまでを徹底解説します。

幼少期からZARDの曲を聞いて育ち、いまだに聞いている私がとことん調べています。

リスペクトの気持ちを持ってまとめていますので、ぜひ読んでみてくださいね。

動画で見たい人はこちら↓

ZARD坂井泉水さんの生い立ちからデビューまでの秘話を語ってみた(前半編)
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ZARD坂井泉水のプロフィール

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本名:蒲池幸子(かまちさちこ)
生年月日:1967年2月6日
出身地:神奈川県平塚市
身長:165cm
血液型:A型

 

ZARDの坂井泉水さんは、蒲池幸子さんという名前で生まれています。

神奈川県の平塚市で生まれ育ち、亡くなるまでずっと神奈川県内に住まれていました。

血液型はA型とのことで、繊細で真面目な坂井さんらしいなという印象ですね。

 

坂井さんは6歳の頃からピアノを習い始めていたそうです。

のちに坂井さん愛用「トイピアノ」が有名になりますが、幼少期からピアノは大好き。

テレビや芸能にも興味を持っていたそうで、歌手への夢は小さい頃から抱いていたそう。

 

坂井さんの性格は、おっとりとしている天然タイプ

結構抜けていることが多いらしく、学生時代も忘れ物が多かったんだそうです。

TVへの出演が少なかったことからも分かる通り、恥ずかしがり屋な性格。

控えめであまり前に出るタイプではない、ザ・昭和の女性って感じですかね。

 

ただし、自分の好きなことへの集中力や努力は尋常ではない面もあります。

また好奇心旺盛で、小さい頃から周囲にたくさん質問する子だったそうですね。

 

ZARDとしてデビューしてから、絶え間なく歌手活動に専念された坂井泉水さん。

そのパワーと継続力の裏には、並外れた集中力と努力と好奇心があったんですね!

ZARD坂井泉水の学生時代

それではまず、坂井さんの学生時代から振り返ってみましょう!

意外かもしれませんが、坂井さんはもともと運動神経抜群だったのをご存知ですか?

 

中学時代

坂井さんは陸上部に所属してたくさん賞を受賞する人でした。

元々中距離ランナーだったそうですが、もともと脚力が強くどんどん才能を発揮。

その足の速さから短距離ランナーに転向、その地域では有名な選手になったそうです。

 

持ち前の集中力と努力で実力を伸ばしたものの、熱中しすぎて疲労骨折したことも。

中学時代はギタークラブにも所属していたそうですが、活動できなかったそうです。

一つのことに集中するとのめり込む性格だったことが、よく分かりますよね!

 

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中学時代からすでに美しかったの?

 

ちなみに中学生当時から、坂井さんの美貌は学校中の噂になっていたそうです。

男子中学生の注目の的だったそうですが、坂井さんはどこ吹く風という状態。

恋愛そっちのけで、部活に集中!って感じの中学時代だったようですね。

 

高校時代

坂井さんは、神奈川県立伊志田高等学校というところに進学しています。

出身が同じ人でいうと、ハリウッド女優の菊地凛子さんも同じ学校卒業ですね。

 

高校時代は、坂井さんは硬式テニス部へ所属していたそうです。

この頃も部活動に一生懸命で、3年生の引退までしっかり活動していたそうです。

ただ、高校時代から次第に音楽活動への思いも強くなっていったそうです。

 

例えば、授業中に詩をたくさんノートに書き留めていたり。

テニス部引退後、バンドを組みたくて校内のバンドグループに入れてとお願いしたり。

スポーツ中心の生活から音楽活動へシフトしていった時期だと言えるかもしれません。

 

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高校も恋愛してなかったの?

 

まず坂井さんは、高校で行われたイベントでミスコンに選出されています。

恋愛もされていたようで、高校1年生の頃に2つ上の先輩に恋心を抱いていたそうです。

でも結局振られたそうで、坂井さんは相当ショックを受けられていたとのこと。。

 

あんな綺麗な人を振る男性がいるとは、、世の中分かりませんね。。

 

大学・社会人時代

高校卒業後、坂井さんは地元の松陰女子短期大学へ進学します。

そこで2年間過ごしたのち、神奈川県の第一不動産という会社へ就職となります。

 

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あれ、歌手の道じゃないの?

 

そうなんです、坂井さんは一度普通の会社員になっているんですよね。

ただし、歌手への夢はどんどん膨らんでいて、思いついた詩も継続して書き留める日々。

そしてそんな時、街中でスカウトを受けて2年間の社会人生活を終えることになります。

 

ZARDデビュー前

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スカウトされたのち、彼女はスターダストプロモーションに所属します。

超大手のスターダストでは、主にレースクイーンやカラオケクイーンとして活動。

元レースクイーンだった岡本夏生さんも、この時期一緒に仕事をしていたそうですね。

 

転機が訪れたのは、1990年8月のこと。

当時スターダストの社長だった細野義朗さんから、ビーイング創業者の長戸大幸さんを紹介してもらいます。

これがきっかけで、B.B.クィーンズのコーラス部隊のオーディションを受けることに。

オーディションでは、アン・ルイスやテレサ・テンを熱唱して高評価だったそうです。

 

その当時のことを、長戸さんは以下のようにインタビューに答えています。

オーディションにはもう1人、すぐれたシンガーが参加していました。宇徳敬子さんです。2人とも同時に採用するわけにはいかないので、坂井さんは別のプロジェクトをやれないかと考えました。それがZARDです。ちなみに宇徳さんは、後にB.B.クイーンズのコーラスとして、同時にMi-Keのリードボーカルとして活躍しました。

 

ここにある別のプロジェクトが始動したのは、1991年のこと。

当時フジテレビの社長だった亀山千広さんが、長戸さんにドラマの主題歌を依頼。

「結婚の理想と現実」というドラマに、長戸さんは坂井さん中心のグループを抜擢。

ボーカルに坂井泉水さんを据え、サポートメンバーを形成してZARD誕生となるわけです。

 

このドラマの主題歌で歌われたのがデビューシングル「Good-bye My Loneliness

坂井さんの夢であった歌手としてのキャリアが、ついにスタートしたわけですね。

24歳にしてようやく夢を掴み、このあと平成を代表する女性歌手になるんですね。

 

まとめ

以上、ここではZARD坂井泉水さんの生い立ちからデビューまでをご紹介しました。

昔から歌手になることを夢見ていて、長戸さんとの出会いで才能が開花しました。

デビューまでの背景を知っておくと、ZARDの曲も深みが増しますよね!

ぜひ改めて、ZARDのことを詳しく知ってもらえると嬉しいです。

 

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